1980年、愛知県生まれ。

音楽との最初の出会いは、小学生の頃にテレビで歌うアーティストを観て歌手になる事をいつしか志す。
(卒業文集で将来の夢には"ボーカリスト"と書いてある)
HIP-HOPと出会うきっかけになったのは、大学受験のために浪人をしていた予備校時代、友人からの勧めでブッタブランド、ZEEBRA、SHAKAZOMBIEといった日本語ラップのアーティストのCDを聴いてから興味を持つ事になる。そして大学生になり運命の出会いをする。当時、同じ授業を受けていた友人からCLUBでDJをすると誘われ入ったclub JB'SのイベントでHIP-HOPに対し衝撃が走る、そこでのライブを観た時にCLUBで歌ってみたいと決意するきっかけとなった。

2002年3月19日、初めてステージを踏む事になる。
本来、知り合いを通じてイベントを紹介されステージに立つのが多いわけだが、彼はDJやMCが出来る友人達を自ら集め、初ステージと初イベント主催を同時に成し遂げるという珍しいスタートを切る事となる。(この時は二人組でカバー曲を二曲披露)
場所は全国でも老舗と呼ばれるclub buddha。
平日にも関わらず200名近く集客し、イベントも大成功となる。
ただ2002年3月19日、彼が音楽の世界で生まれた日に、母方の祖父の死が重なっている。
初めてのライブを観てくれたのは亡くなった祖父だと信じ、夢を現実のものに変える事を心に決める、忘れられない一日となった。

そして同じ大学の友人の誘いにより、OZON(旧)のBLUE FLOORでイベントの立ち上げに参加する。毎回200名以上の集客をして、少しずつライブも注目される事になる(この頃はソロで活動)。
そして親友の紹介で、同じ大学の後輩と二人組のSINGER&MCユニット、"NATURE STREAM"を結成する。
当時のクラブシーンではMCのユニットは多数存在した中で、男性の歌とラップを織り交ぜたものは極めて少なかった。
SINGERでもMCに引けをとらない程ライブで盛り上げられるという可能性に挑戦するため、HIP-HOP の世界に飛び込んだのだ。
ライブで使うインストトラックもHIP-HOPのビートでワンループの中でメロディを作る製作を主にしている。

NATURE STREAMを結成する約1年前、初めてオリジナルとして曲製作をしようとレコードやCD等を聴く日々の中で、弟が何気なく聴かせてくれたDJ MASTERKEYのCDを聴いた時に、すぐメロディと歌詞がひらめき完成した、それが最初のオリジナルソングの原型となった。
("音楽は無限タイム"[Nature Stream]、11曲目に収録)

二人組のユニットとして活動範囲をより広くするために、知人の紹介で出演する事になったのが当時、RADIXの平日に開催されたVISIONである。このイベントはRoziura Recordsの代表でもあり、路地裏30としても深い付き合いになる鳳雷と出会うきっかけとなる。そしてこのイベントにたまたま来ていたのがM.O.S.A.D.であり、そしてメンバーの一人であるEqualがNATURE STREAMを知るきっかけとなった。
後日、CLUB QUATTROでのASIAN PIMPSのCDリリースイベントを観に行った帰りに、VISIONの主催者の一人でありドラマーで活躍する柏木氏から、Equalの1st Albumの楽曲に参加して欲しい事を伝えられ、繋がるきっかけとなった。
彼にとって思ってもないチャンスが転がりこみ、何よりも地元名古屋から全国で活躍するMCとの客演は大きな経験になった。
この客演が無かったら今日、Mitchey Walkerとして活動はしてないであろうと音楽に対する可能性を与えてくれた瞬間でもあった。

NATURE STREAMとしてもライブを年間50本以上に増え、着実に注目されて行った。
そんなユニットとして活動を約2年半になる頃、メンバーのMCが脱退する。
しばらくはNATURE STREAMは一人で活動していたのだが、心機一転の決意で2006年からソロネームを"Mitchey Walker"として活動をする。もちろん賛否両論の改名ではあったが、彼の中で新たな気持ちに立てた事が強みになれたのだった。
そんな改名が間もない頃、DJ EARNEE から一つのオーディション参加のメールが送られるのだった。
"Rhyzhm zone主催の全国規模オーディションの東海予選をOZONで開催する"という内容であった。軽い気持ちの挑戦ではあったがエントリーをして本番に挑む事になる。
東海予選大会では決勝進出まで勝ち上がったのだが優勝も賞すら受賞できず悔しい結果となった。
だが各地方大会の決勝進出アーティストの中で選ばれた15組のみが参加が出来るコンピレーションCD"STARZ FILE"に入り、全国レベルだと証明される事になった。

コンピレーションが発売された秋頃に、当時毎週金曜日に中部日本放送(CBC)で放送されていたバラエティ番組、"なつめぐ堂"の音楽コーナーに出演する話しが飛び込んでくる。
東海地方のアーティストを発掘・応援するという番組内容で若槻千夏、MEGUMIが共演という今までには無いチャンスを得る事になる。"HIP-HOP虎の穴"という3組の地元アーティストがライブ、WEBでの投票で総合1位になればメジャーでCDデビューが出来るという内容であった。一週間で"LOVE"をテーマに曲を作るというのが番組の企画であったが、この時に完成した曲が父、母へ感謝と愛を込めた"ワンラブズ〜Family Stone〜"([Nature
Stream]、8曲目に収録)であった。
愛知、岐阜、三重のクラブでライブをし、オアシス21でのCBCの冬祭り(約1500人以上が集まる)のステージで決定するのだが、彼は岐阜大会では1位になれたのだが、他では票数を集める事ができず、総合1位には届かなかった。
だが総数、1000票以上を集めた結果は決して恥じる事では無かった。
そして3ヶ月間のテレビ出演により、今までのクラブ層から一般層へも音楽が伝わるきっかけとなったのだ。

2007年6月13日1st Full Album"Nature Stream"を全国発売。
Singerとして幅広い可能性を表現し、ライブで人気の高かった曲等も選んだ11曲となっている。
その中で、1曲目に収録されている"7days〜It's a enjoyment〜"は、2008年1月から創刊された情報誌"City Paradise"のテレビCMソングとして起用される。
そして"Nature Stream"から2曲(7days、ワンラブス)はZIP-FMで深夜の人気コーナーである"FIND OUT"にエントリーし、月間チャンピオンを2度も受賞したのだった。

2008年8月23日にはワンコインSingle"何度でも。"を発売。
ライブ会場限定の販売だったが、好評により間もなく完売となる一枚だ。

2009年1月に、NHK(東海地区)で毎週13時50分に生放送されている"サタ☆テン"にゲスト出演。有名アーティストが毎週メインゲストとして出演する中で、地元インディーズアーティストがメインで出演という異例を成し遂げる事となった。

そして、2010年の春。
等身大の気持ちを伝えたいSingerとしての1枚、"Lovely"を発売。
昔からの友人が結婚をする事に祝福をしたい気持ちに溢れており、結ばれる二人のエピソードも織り交ぜたラブソングとなっている。

Mitchey Walkerが少年の頃から今も聴いている日本の音楽を自らが尊敬と敬意で曲に表し、そして現場であるCLUB、LIVEで常に挑戦し続ける事は彼の更なる飛躍、可能性にこれからも期待できる存在であろう。



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